テック・スタートアップのGo-To-Market戦略(PMF前まで)

プロダクト・マーケット・フィットがすべて

マーク・アンドリーセン(Marc Andreessen)の言うように、スタートアップにとって重要なことはただ一つ、プロダクト・マーケット・フィット(Product Market Fit: PMF)である。

世の中には二種類のスタートアップしかいない。PMFに到達したスタートアップとPMFに到達していないもの。

アンドリーセンの定義を借りれば、PMFとは「(規模が大きいあるいは今後成長する)良い市場において、顧客を満足させられるような商品を提供できていること」。多くのスタートアップは、ニーズの全くない商品を開発したり、あるいはその商品を求めている顧客を見つけ出すことができず、成長できないままにいることがある。これがPMFに到達できていない状態である。

そこで、以前の投稿で書いたように、テックスタートアップがテクノロジーの変曲点を見出し、それを利用した商品を生み出し後、いかにしてPMFに到達すべきかについて書きたい。

テクノロジーの導入ライフサイクルとは

テクノロジーの導入において、導入ライフサイクル(Technology Adoption Life Cycle)という考え方がある。新商品購入の早い順に、
Innovators 革新者、
Early Adopters 早期採用者、
Early Majority 前期追随者 、
Late Majority 後期追随者 、
Laggards 採用遅滞者 、
と五つの分類があるとされている。

Technology adoption life cycle image

重要なのがEarly Adoptersのどこかにある大きな溝( キャズム )が存在していて、それを乗り越えられるかどうかが小規模なままの市場としてたちまち消えていくのか、大きな市場を勝ち取るあるいは作り出すことができるのかの分かれ道となる。

ニッチマーケットから攻略する

このキャズム(溝)を乗り越えるために重要とされているのが、特定のニッチマーケットを圧倒的に独占すること(Early Adoptersから圧倒的に高い支持を得る)。ニッチマーケットを独占し高い支持を得ることで、そこからの口コミでEarly Majorityが導入するきっかけが作られる。逆にどれだけ優れた商品だと説明されても、周囲の誰かが口コミで流布するなど、その実感が沸かない限りはEarly Adopters以外の大多数は商品導入に踏み込むことはない。

ニッチマーケット攻略の実例

eBay(1995年創業) の場合:  ペッツのキャンディ・ディスペンサーのファンがコレクション収集するために熱狂的に使用していたとされている(真実かどうかは定かではないが小物の収集家を中心にeBayが広がったのは事実のようだ)。なお、eBayの場合は決して意図的にそのようにしたわけではなく、もともとは趣味で始めたサービスであって、偶然そういった利用者の間で広がったことで、趣味から事業へと進化を遂げることになった。 

Pez Candy Dispensers

Google(1999年創業)の場合: 検索エンジンの利用者側の話ではなく、広告主側の話。先行していたヤフーで広告を出す場合、画像をはめ込むバナー広告の形式しかなく月額で100万円もしていた。加えてバナーを作成するため、内省のデザイナーがいない場合、追加で30万円近い外注費を要していた。そんな中、Googleが始めたのがセルフサービスのテキストアド広告というバナーを利用しないテキストだけの広告。いわゆる検索連動型広告。1000の言葉より1枚の絵のほうが伝わることを考えれば、テキスト広告の宣伝効果を懐疑的に思う人の方が多かった。そんな中、これらのサービスを率先して利用したのが、ヤフーで広告を出すほどのお金のないスタートアップ企業。これらの広告主がEarly Adopterとしてセルフサービスのテキストアド広告を利用し、その宣伝効果が徐々に確かめられるようになり、その後Early Majorityへ広まることとなった。

Facebook(2004年創業)の場合: ハーバード大学の学生を中心に広まったのは有名な話。もともとは各学生寮ごとに個別のオンライン名簿(ただのホームページ)しかない中、全学が利用できるソーシャルネットワークサービスを提供したことですぐさま広まった。その後、大学ごとに広げていき、いずれ一般全体に広げたときには、大学生の間で既に築かれていた高い評判のおかげでEarly Majorityが一気に利用するようになった。

ニッチマーケットを攻略する際、特殊なニーズを持つ切羽詰まっている者を探し出す

既存の大企業が提供しているサービスは、普通に考えればバグもなく概ね品質も高いはず。そこにスタートアップが新しい商品を投入したところで、飛びついて利用するのは新しい物を積極的に試したいと思う極少数のInnovatorだけであり、他の大多数は見向きもしない。

そこで、Innovatorを越えてEarly Adopterにまで利用してもらうには、彼の特異なニーズに強く訴求する必要がある。eBayの場合、他のどこよりも豊富な品ぞろえのペッツのキャンディ・ディスペンサーをマニアックな収集家に提供した。Facebookの場合は、誰よりもソーシャル・プレッシャーに晒され少しでも多くの友達と繋がることが死活問題のハーバードの大学生に向けたソーシャルネットワークだった。これらのような特殊で強い需要(切羽詰まっている状態)の顧客に商品を提供することで、強固なPMFが実現される。

PMFに到達できないとき、商品を変更(商品のピボット)するのではなく、別の切羽詰まっている顧客を見つけ出す努力をする(顧客のピボット)をすることが肝要となる。逆に切羽詰まっていない顧客の場合、わざわざ新しい商品を試すことは少ないと認識する必要がある。

なお、テクノロジーの場合、従来品より10倍以上早い、10倍以上価格が安い、10倍以上効率が良い、10倍以上品質が良いものが生まれたときにPMFが実現されるともベン・ホロウィッツは言っている。逆にそれだけインパクトがないと、誰もわざわざ従来品からは乗り換えない。その10倍のインパクトをもたらすことのできる、切羽詰まっている誰かを探し出すことこそが、PMFに到達するための道筋となる。

最後に販売チャネルについて

販売チャネルはおおむね、商品の価格に呼応する。一顧客当たりの年間売上が1,000万円を超えるような商品の場合は直接営業(自社営業)、年間売上150万円ぐらいならSIなどの付加価値再販業者(VAR: Value-added-reseller)、10万円未満だったらセルフサービス(オンライン直販など)となる。

ディスラプションの定義

クレイトン・クリステンセンによるビジネス用語としての定義

イノベーションのジレンマ(1997年出版)で有名になったハーバード大学教授のクレイトン・クリステンセンによる定義は、

「従来のものと比べてより簡素で、より安価で、より便利な商品を提供することで、既存企業が同一のものを提供した場合に不経済なために提供が難しく、その結果、既存企業の製品がとって替わられる現象」を指している。一般に認識されているような、既存の産業を破壊してしまうようなイノベーションのことを指しているわけでは決してない。

テクノロジーを活用したディスラプションの例

eBay(1995年創業)の例:サザビーズ(Sotheby’s)という世界最古の競売会社は一点200万円以上する美術品を中心に競売を行い、販売手数料を得るビジネスモデルだ。逆に200万円未満の商品を競売にかけてては、利益が生み出せない。そこにeBayは500円の商品を売っても利益が出るビジネスモデルを考案したことで、サザビーズが独占していた競売の市場をディスラプトしている。サザビーズが低価格の競売品市場でeBayと競争できないのは、仮に500円でも利益が出るビジネスモデルに移行した場合、既存事業の利益が大幅に棄損し不経済であるからである。

Gusto(2012年創業)の例:ADPは米国最大の給与計算アウトソーシング会社だが、直接営業をして商品を販売している。利益を確保するため、年間売上が1,000万円を上回る顧客(クライアント)を中心にソフトウェアおよびサービスを提供している。Gustoは同じ給与計算アウトソーシング会社だが、セルフサービスの販売方法を採用している。その結果、年間売上10万円の顧客からも利益が出るビジネスモデルを構築し、給与計算アウトソーシング市場をディスラプトしている。サザビーズ同様、ADPも低価格商品市場に本格参入しGustoと競合出来ない理由は、既存の大口顧客の利益率が大きく棄損し不経済であるからである。

大きなリターンを生むために(テック企業編)

テクノロジーの変曲点を特定することこそが、大きなリターンを生むテックベンチャーの真髄

起業する際の方法論は二つしかない

方法論1:市場に存在している何らかの問題を特定した後に、その問題を解決するための製品を生み出す方法(一般にMarket-inとも言う)

方法論2: テクノロジーの変曲点(テクノロジーによるなんらかのブレイクスルー)を見出し、それを利用した商品を生み出し後に売り先(市場や顧客)を見つける方法(一般にProduct-outとも言う)

著名VC投資家のアンディ・ラクレフ(Andy Rachleff)によれば、テック企業の場合、前者は平凡なリターンしか生まず、後者にしか大きなリターンは潜んでいないとしている。

ラクレフはVCファンドのベンチマーク・キャピタル(Benchmark Capital)の共同創業者として有名で、現在はウェルス・フロント(Wealthfront Inc.)というロボアドバイザーを用いた資産運用で有名な会社の創業社長を務めている。

ベンチマークは特に2011年の7号ファンドが有名で、$550Mのファンドサイズに対し、2018年夏時点で$14B(25.5x、フィー前)の時価まで成長しており、Uber($12M→$7B, 583x)、Snap ($21M→$2.0B, 95x)、WeWorkをはじめとするユニコーン企業が8社も含まれている。単一ファンドとしては近年最も成功したファンドの一つに数えられる。もちろんベンチマークの過去のファンドの実績も輝かしく、創業からの全8ファンド(7号ファンドも含む)はこれまでに累計で$22.6Bの払い出しをしており、フィー後で10.0xのリターンを投資家に還元済である。

テクノロジーの変曲点の具体例

Google(1999年創業)の場合:サーバーの価格が急速に安くなったことで(ヤフーが創業した1995年当時に比べて1/10から1/20程度まで安価になった)、ヤフーの検索アルゴリズムとは違い多くのリソースを必要とするページランクを大規模に展開することが可能になった

Youtube(2005年創業)の場合: 高速インターネットの普及で、きれいな画質のビデオストリーミングが可能になった

Uber(2009年創業)の場合:スマホが普及したことで、携帯電話にGPS機能が付加され、いつでも、どこからでも配車依頼が可能になった

Instagram(2010年創業)の場合:カメラ付きのスマホが普及したことに加え、ソーシャルネットワークアプリ(フェイスブック)が普及したことで、多くの人に対してきれいな写真をいつでも、どこからでも共有できるようになった

このようなテクノロジーの変曲点を捉え、製品を開発することで大きなリターンがはじめて生まれている。逆に何らかの問題点を解決しようというMarket-inのアプローチはテックベンチャーにおいては大きなリターンを生みにくい。

ラクレフに言わせると、米国MBAで頻繁に教えられ、人気授業となっている「デザイン・シンキング」や「リーン・スタートアップ」の手法はMarket-inの考え方に基づいており、テックの領域において大きなリターンを生むことは少ないとのこと。むしろ中規模のリターンを生む方法に適しているそうだ。

MBA生のキャリアに照らし合わせた際の示唆

上記のことからもわかるように、テクニカル・バックグラウンドのないMBA生が得意とするのは、やはり「デザイン・シンキング」や「リーン・スタートアップ」の手法を用いた起業である。ただ、先述の通り中規模のリターンを生む方法として適しているものの、グーグルやフェイスブックのようなとてつもない成功につながることは少ない。そうすると、大きなリターン(金銭以外のものも指す)を求めるには優秀なテクニカル・ファウンダーのもとで働かせてもらうのが現実的な選択肢と言える。

ちなみにラクレフが社長を務めるウェルス・フロントは毎年、Career Launching Company List(キャリアを加速させるための企業名簿)を発表しており、今後飛躍的に成長する可能性の高い、上場前のスタート・アップを列挙している。(これらの企業は未上場、売上高$20-300M、3年先まで毎年50%超で成長見込み、魅力的なユニットエコノミクスを実現していることが条件となっている)

Charlie Foxtrot

Charlie Foxtrot ⇒ CF (下記表参照) ⇒ Cluster fuck

charlie foxtrot: a disastrously mishandled situation or undertaking

NATO phonetic alphabet chart

ときたま、人はとんでもなくめちゃくちゃな状況を引き起こすことがある。それをアメリカの軍人はCharlie Foxtrotと言う。

これは天才起業家、Billy McFarlandの話である。

Billy MacFarland in the Bahamas on a jet ski, 2016

2013年のこと、既に大学を中退していたBilly McFarland (22) はMagnises(マグニーシス)というサービスで起業をする。年会費250ドルの高級クレジットカードで、会員には金属製のブラックカードが配られ、人気コンサートのチケットなどを割引で販売していた。また、少人数での会員向け交流会がマンハッタンのクラブハウスで企画され、若者に一定の日記を博していた。

Billy McFarland founder of Magnises, New York Post, 2014

すぐ様Billyは次のビジネスに着手する。有名ラッパーのJa Ruleと意気投合しFyre(ファイヤー)という名の新サービスを思いつく。有名ミュージシャンをオンラインでブッキングするという新しいプラットフォーム。Magnisesのこともあり、この頃からメディア出演もするようになっていた。

Ja Rule and Billy McFarland, 2016

2016年秋のこと、Fyreのサービスを宣伝するため、Fyre Festivalというイベントを考え付く。アメリカではインスタグラムの影響もあり、バーニングマンやコーチェラ・フェスティバル(有名野外音楽フェス)が若者を中心に近年人気を博しており、それらを超えるような豪華でエクスクルーシブな音楽イベントをバハマで開催することにした。かつてはコロンビアの麻薬王が所有し、別荘として使用していたとされるNorman’s Cayという小さな島を貸し切ることに成功し、2017年4月開催のFyre Festivalのプロモーションが始まる。

2016年12月12日に一斉に200人超のインフルエンサーを通じてイベントの宣伝を開始するとともに、動画も公開し、有名モデルのBella Hadidなんかも出演させた。

Fyre Festival promo video

すぐさまチケット販売を始め、安いもので500ドルから、高いもので250,000ドルのものまで用意し、高級リゾート並みの宿泊環境と豪華な料理と音楽をうたった。結果、5,000枚以上のチケットが完売した。さらに当日使用するための自動決済用リストバンドを販売し、ゲストに対し一日当たり300-500ドルを事前に充当するように促し、さらなる売上を確保していく。

2017年4月27日 開催当日である。ここから人類史上稀に見る、Charlie Foxtrotが展開される。

そもそもその前に、まず開催場所が変わっている。Norman’ Cay島を貸し切ることになっていたはずが、所有主と揉めた結果、別の島の一区画(Roker Point)で開催することになっていた。岩場だった一区画に砂を大急ぎで敷き詰め、小さな人工ビーチを設けただけのものだった。

27日の朝、チャーターされた飛行機で続々とゲストが現れる。

黄色のスクールバスに乗せられ、空港からRoker Pointではなく、町の小さなレストランに案内される。添乗するスタッフもいなく、レストラン周辺に多くのゲストが何時間も放置されたままになっている。

いざ、Roker Pointに移動すると、約束されていたような宿泊環境はなく、白い災害用のテントの海が待ち受けている。チェックインカウンターはなく、口頭で自由に好きなテントに泊まるように言い渡される。なぜか人数分のテントは用意されておらず早い者勝ちの様相。テントの中にはベッドが二つと小さな机が無造作に置かれており、前日の雨の影響でマットレスは濡れている。いまだ食事の提供はない。夜更け頃に、ろくに照明もないなか、飛行機から積み下ろされたスーツケースが大型トラックで届けられる。荷物タッグなどもつけられておらず、地面に放置された荷物の盗難が横行している。ようやく食事が用意されたかと思うと、小さなスチロール箱にはいった、パン切れ2枚とスライスチーズにサラダだけ。肝心な音楽はというと、地元のバンドが夜更け頃から数時間演奏したのみ。関係者スタッフやメディカルスタッフもほとんど配備されておらず、携帯電話は圏外、インターネット接続はない。トイレも設置されておらず、水道もない。多くのゲストが寝る場所もなく、移動手段がないままに現地の夜は明ける。かろうじて空港に戻った者もいたが、残念ながら飛行機は飛び立たない。明け方まで、食事や水も提供されないまま、空調のない待合室で軟禁される。朝になりようやくアメリカ本土向けの飛行機が飛び立った。

ここに来て、ようやくBillyからTwitterにてイベントの中止が宣言される。

Billy McFarlandは現在ニューヨーク州の刑務所で6年の刑期を務めるため服役中である。多くのゲストを欺いただけでなく、従業員、投資家、バハマの現地住人(施設建設に携わった多くの方や食事を提供したレストラン等)、おまけに本人の弁護士まで騙し、全員に対する支払いが滞ったままになっている。

MBA生が考える、経済的自立を実現する方法(投資は自己責任で)

まずは言葉の定義から。ここで使用する経済的自立(Financial Independence)とは、「一人で生活するためのお金を継続的に稼ぐことができる一人前の状態」や、「収入の範囲内に支出を抑えて一人で、あるいは家族で生活すること」を指しません。

ここで使用する経済的自立という言葉は「投資から得られる収入(不労所得)が継続的に必要な生活支出を上回る状態」のことを指しています。言い換えると、「一切働かなくても、問題なく生活ができる状態」を経済的自立と定義します。個人が汗をかいた後に、資産に汗をかかせるときの話です。

アメリカには「ファック・ユー・マネー」という言葉があります(汚い言葉、容赦下さい)。端的に言うと、完全な経済的自由を得られる程度のお金を指していて、他の言い方をすると今すぐ仕事を辞めても、あるいは解雇されても何ら問題にならない程度のお金を指しています。ファック・ユー・マネーを得た時点で、上司やその他大勢の人間に「ファック・ユー」と言えてしまうところから来ています。こちら、映画ザ・ギャンブラー/熱い賭けの一節がわかりやすいかと思います。

この「ファック・ユー・マネー」を得た状態をここでは経済的自立と呼びます。ここから経済的自立を実現するための4つのルールを記したいと思います。

ルール1: 4%ルールで必要な資産を算出する
まずは経済的自立を得るためにいくらの資産が必要なのか。それを理解する上で4%ルールというのがあります。資産総額と必要な生活資金の関係を示す数字で、仮に1億円の資産がある場合、その4%は400万円となります。400万円ではなく、1000万円ないと生活ができないという方は、その25倍(4%の逆数)の2.5億円の資産が必要となります。

4%という数字は、投資から得られる平均的リターン6%(株式と債券等を組み合わせたようなものを想定)から平均物価上昇率2%を差し引いて概ね算出されます。投資資産から毎年4%分引き落として生活をしても、物価調整後の資産は維持されるところにポイントがあります。

ルール2: インデックスファンドに投資する
必要な資産がわかったところで、全額の80%を株式インデックスファンドに、20%を債券インデックスファンドに投資する。以上で経済的自立が成立し、ファック・ユー・マネーを得た状態に移行したこととなります。すごく簡潔です。

なお米国でインデックスファンドに投資する場合、世界で初めて個人向けインデックスファンドを売り出した運用会社で現在の運用資産総額が500兆円を超過しているバンガード社 (2017年現在、ブラックロックに次いで世界2番手だが、2020年には世界1位に、2023年には1000兆円を超えると予想されている)が提供するVTSAXあるいはS&P500 Index Fund(いずれも株式インデックファンド)と、同じくバンガード社が提供するVVTLX(債券インデックスファンド)がおすすめとされています。上記がおすすめなのは、圧倒的な規模に裏付けられた高い実績と信用力、ならびに他者より低い手数料のためです。

なお、日本から投資する場合、2017年より「楽天・バンガード・ファンドシリーズ」が登場したことで、上記の株式インデックスファンドには投資が可能です。「楽天・全米株式インデックス・ファンド」がそれに当たります。

ここからは、なぜインデックスファンドに投資すべきなのかを説明します。

アクティブ運用とパッシブ運用の違い
投資の世界はアクティブ運用とパッシブ運用の二つに分類されます。アクティブ運用には一般的に考えられる個別企業の株式への投資(ストックピック)なんかが含まれます。あれこれマーケットや個別企業のことを能動的に考え、ベンチマーク(日経平均株価、S&P500等) 以上の運用成績を目指すものです。ヘッジファンドなんかはこの分類に含まれます。アクティブ運用の一つの特徴はあれこれ考えて投資をするため、フィー(運用報酬)が高く設定されています。

逆にパッシブ運用はインデックスなんかに代表される運用方法で、運用目標とされるベンチマークに連動する運用成果を目指すものです。この場合、あれこれ個別企業のことは考えず、日経平均に含まれるすべての株式を時価総額に応じた割合ですべて買っているような金融商品です。アクティブ運用とは違いあれこれ考える必要がないため、アクティブ運用と比較してフィーはかなり低く設定されています。

アクティブとパッシブではどちらが儲かるのか
その1:シャープレシオによる考察
儲かるかどうかを説明する上で、リスクとリターンの関係について理解する必要があります。一般にリスクが高いほうがリターンが高いということは理解されています。逆にリスクが低ければリターンも低くなります。そこで金融商品を考える上で重要な指標になるのが、リスクとリターンのバランスを表す「シャープレシオ」というものです。

1990年にノーベル経済学賞受賞のウィリアム・シャープ(スタンフォード大学教授)が1960年代に考案したもので、期待リターン(厳密には期待リターンからリスクフリーレートを差し引いたもの)を期待リスク(=標準偏差)で割った数字のことです。投資を考える際、単なるリターンの大小ではなく、さらされているリスクとのバランスを評価する必要があるという考え方に基づき導き出された指標です。

シャープレシオが高い ⇒ さらされているリスクに対して期待リターンが高い
シャープレシオが低い ⇒ さらされているリスクに対して期待リターンが低い

さらに、ウィリアム・シャープは、株式を複数組み合わせて作られる無限に考えられるポートフォリオの中で最もシャープレシオが高くなる(さらされているリスクに対して期待リターンのバランスが最も高くなるの)のは、市場ポートフォリオと呼ばれる、市場にあるすべての株式を時価総額の比率に応じて組み合わせたものであることを証明しました。(細かいことを理解したい場合、CAPM: Capital Asset Pricing Modelが参考になります。)

まさに、この市場ポートフォリオに投資できるのが先述のインデックスファンドであり、それを1976年に初めて個人向けに販売したのがバンガード社になります。シャープレシオの高さという指標において、パッシブ運用の方がアクティブ運用に勝るということが言えます。

アクティブとパッシブではどちらが儲かるのか
その2:フィーの視点からの考察

ウィリアム・シャープはもう一つ重要な考察をしています。アクティブ運用は必ず、市場平均以下のリターンを生むとしています(1991年に発表しているThe Arithmetic of Active Management参照)。その理由はごくごく単純で、アクティブ運用の方が請求されるフィーの分だけ、全体の平均リターンが抑えられるからです。すごく優秀な(あるいは運がよい)ポートフォリオマネージャについて、高額なフィーを差し引いてもベンチマーク以上の運用成績を残すことはあります。ただし、アクティブ運用の全体平均を見れば、フィーの分だけ市場平均リターンを下回ることは紛れもない事実です。もし、優秀な(あるいは運のよい)ポートフォリオマネージャを確実に特定できないのであれば、やはりフィーの低いパッシブ運用の方がリスクに対する期待リターンは高くなります。

世の中にはすごく優秀なポートフォリオアマネージャがいるのは事実です。また、ごく稀に何年も続けて好運用成績を残すウォーレン・バフェットのような奇跡的な存在がいるのも事実です。ただし、優秀なポートフォリオマネージャほどフィーが高いのが一般的です。かの有名なSteve Cohen氏がかつて代表を務めていたS.A.C. Capital Advisorsでは2000年代当時、3%のマネジメントフィー(毎年運用総額に対して課される運用報酬)に加えて、50%のキャリー(利益総額に課される追加の運用報酬)を請求していました。法外なフィーです。(余談だが、S.A.C.はその後、世界最大のインサイダー取引事件により起訴されています。)。運用成績を評価する際、ベンチマークとの差分をアルファと呼ぶことがあり、アルファがプラスであれば、ベンチマークを凌駕した運用成績を残したことになります。業界平均を見たとき、アルファに比例してフィーが高くなる傾向があり、結果的にアルファはフィーによって相殺される、あるいは負の数字になることがしばしばです。S.A.C.の場合、フィー後でもアルファを生んでいたようですが、Steve Cohen氏本人が1兆円以上の資産を築いたことも間違いありません。

2007年のこと、ウォーレン・バフェットは自らの個人資産1億円をかけて、Protégé Partnersというニューヨークのアセットマネージャーと公開で賭けをしています。ウォーレンはS&P 500のインデックスファンドに、 Protégé Partnersは自らが選んだ5つのヘッジファンドを組み合わせたポートフォリオに賭け、その先10年間の運用成績で勝敗を決めることにしました。案の定、2017年12月のこと、ウォーレンが圧勝をしています。S&P 500のインデックスファンドは毎年平均7.1%のリターン (先述の6%の平均リターンに対応する数字) なのに対して、5つのヘッジファンドのポートフォリオは毎年平均2.2%のリターンになったと発表しています。やはりフィー体系の高いヘッジファンドの方が総じて(フィー後の)リターンが低くくなる傾向にあるひとつの実例です。

上記のシャープレシオフィーによる二つの観点から、パッシブ運用のほうがリスクリターンのバランスが良いと言えます。市場参加者の平均を上回る運用成績を個人として残す根拠がある、あるいはウォレンバフェットのようなすごく優秀なファンドマネージャを知っておりフィーも比較的抑えた形で運用してもらえる方以外はパッシブ運用したほうが良さそうです。

ルール3: 景気後退局面において損切しない

急に不景気に突入して、株価が一気に下がることがあります。日に日に株価が下がるため、損切すべきなのではという焦りに間違いなく駆られます。株価が急落しようとも、気にせず損切しないことが重要です。言葉にするのはすごく簡単ですが、実際に株価が急落する中、売らずに持ち続けることはかなり難しいです。それでも売らない。売るという選択肢がないと決めておくことが重要です。そもそもインデックスを買っているので、上場企業すべてが倒産して紙屑になる可能性は考えられません。むしろ、下がったときこそ保有量を増やすのが正しい選択です。ウォレンバフェットは、「株価が下がることは、保有株式を買い増すチャンスとして喜べ」とまで言っています。

フィデリティ社(世界的に有名なミューチュアルファンドで資産運用額は200兆円を超える)が行った興味深い調査結果があります。2003年から2013年について、顧客口座別に運用成績を調査したところ、もっとも好成績だったのが持ち主が亡くなっていた口座、次に好成績だったのが口座の存在を持ち主が忘れていた口座でした。 平均で見ると、 損切をしたり、思い付きで買い増したりしないほうが高い運用成績が残せるという一つの証拠です。

ルール4: 家は買わない

家を買うことで、資産の大部分が一件の不動産に集中することになります。価格が大幅に上昇するかもしれないし、大幅に下降するかもしれません。大地震、水害、地滑り、台風、落雷、隕石、放火により倒壊あるいは損傷するかもしれないし、どこからかテポドンが飛んでこないとも限りません。首都が移転したり、新しい新幹線が開通して需給が変わるかもしれません。 劣化により大がかりな修繕工事が必要になるかもしれません。 原子力発電所が爆発して放射能汚染で100年先まで住めなくなるかもしれません。テロリストにハイジャックされた旅客機に衝突されるかもしれません。いずれも個人として確実に予測することは難しく、すべてを保険で賄っては莫大な費用がかかります。家を100件買うならともかく、1件しか買わない場合はリスクが大きいと言えます。

10 rules for eating high-end sushi in Tokyo (dedicated for the non-Japanese newbie enthusiasts)

This guide is intended to be read by overseas visitors who are planning to dine at a high-end sushi omakase in Tokyo for their very first time. Think price point above $200 per person. I’m also assuming that it is an “Edo-mae” type sushi. Edo is the old name for Tokyo and can be translated as Tokyo-style sushi. Some of what I’ve written is extremely accurate. Some of it is overly generalized. Some of it is completely fiction. It has all been derived from personal experience and direct conversations with multiple sushi masters. It is also full of my personal prejudice. I hope it is somewhat helpful in understanding the mysterious world of authentic sushi in Japan.


Rule 1
Never cancel within 3 days of your reservation. It is a felony. If you cancel, assume that you have to pay the full price. Fresh fish has been procured just for you and your group, a lot of it on the morning of. They will be forced to throw all of that out the window. The master never serves anything short of perfect. Reputation built over decades is far more important than saving a couple of pennies by reusing some of the ingredients. If you absolutely need to cancel, find a substitute and make sure that the fresh fish doesn’t get thrown out. Just in case you’re not misunderstanding, it’s totally NOT okay to pay the full price and cancel at your convenience. You have still wasted the food and all the human effort that went in. It’s not capitalism that prevails, its “iki.”

Rule 2
The sushi store is not a restaurant, it is the sushi master’s home. Behave as if you were invited into his home. Be respectful to the host and his other guests.

Rule 3
Once you enter his house and sit down, make sure to forget your bill. The sushi master can charge you whatever he wants now. Don’t complain that its not transparent. That’s just the way it is. Don’t take notice of the fact that he’s not really counting what you have ate either. Also, don’t get too upset with the fact that you’re not getting served the exact same dishes as other more experienced guests. Remember, you’re a newbie. The master has every right to have favorite guests. You know what the word “omakase” means, right? It means that you trust the master and you’ve willingly gave up control. Accept the fact that you are powerless and concentrate on enjoying the show. God forbid, do not negotiate the price or ask for an itemized receipt. That is totally not “iki.

Rule 4
Don’t damage the magnificent cypress table with your cheap metal Rolex. Take it off when seated. The table is by far the most expensive piece in the store and is considered the face of the store. Enjoy the rich, 2 inch thick solid block of expensive wood. If the table is cheap, the store is also considered cheap. Keep it clean and unscratched.

Rule 5
As soon as you sit down, clearly communicate your preferences or food restrictions (if you have any) to the master (or sub-master) before he starts serving. It is an insult not to eat a dish once it’s served. Know what exotic shells you are not fond of in advance, and let him know so he can work around it. If you don’t know what you can or cannot eat, too bad, that’s your fault. If you suddenly realize that you don’t feel like eating whatever that has just been served, too bad, that’s your fault, too. Take responsibility and eat up. Wasting food is totally not “iki.”

Rule 6
Please don’t add extra seasoning or soy sauce based on your preference, unless you’re instructed to do so. Remember, its “omakase.” It’s already flavored and prepared perfectly to be devoured. The temperature of the rice, the type or blend of vinegar, the amount of vinegar, the size of the rice, the size and thickness of the sashimi, the direction the fish is cut, the amount of wasabi added are all basic variables that are controlled between dishes and also take into account who is being served. Don’t mess it all up by adding your “unique” preference. You don’t go to someone’s house and recook what’s been served. Also, don’t forget to eat the sushi within 20 seconds of arrival. It is a sin to leave a dish untouched just because you’ve got carried away with your unimportant conversation. As a side note, the master may prepare slightly smaller rice servings for females to make sure both the guy and the gal get equally full. These are small things that the master will do which is totally “iki.”

Rule 7
Don’t be fooled. The rice is where majority of the skills are concentrated, not the fish on top. A master will tell you that great sushi is determined 80% by the “shari (the rice portion)” and 20% by the “sashimi (fresh fish)” on top. There is tremendous attention put into where the rice has been procured, how to cook it, what vinegar to use and how they mix it with the rice, and at what temperature it is served at. For your average American sushi the shari is always cold. That’s unacceptable. At a high-end place, I will guarantee that it will be served at different temperatures depending on the sashimi it goes with. Also notice that a lot of places will use red vinegar, which you can see by inspecting the color of the rice (i.e., brownish rice vs pure white rice). This is one of the characteristics of Edo-mae sushi. Typically, fatty tuna-type sashimi goes well with thick red-vinegar shari, whilst more lighter fish goes well with your ordinary white vinegar shari. Pay attention and notice these subtle differences as you enjoy each dish.

Rule 8
Beware of the sheer amount of raw fish. You will be hit by a tsunami of sashimi and sushi, 20+ dishes in a row. If you haven’t eaten raw fish intensely in the past, you will easily be overwhelmed. Don’t assume that you will be able to glide through a full meal. Acknowledge that you are a beginner and be prepared. If you’re too full to continue, just admit it and the master will understand. As we all know, you’re just a newbie.

Rule 9
Appreciate the fact that there is a full team behind every dish. Assuming the store has a total of 8 seats, there is 1 master, 1 sub-master which will both be standing in front of the counter (99% will be male). Since you are a newbie you will be seated close to the sub-master. There will be 1-2 waiters behind you (99% female). There will be 1 person in the backyard in charge of the grill (99% male). There will be an additional 2 people in the backyard washing dishes and doing other various supportive roles (99% male). This means that the ratio between customers and store staff is 8 to 6, close to a one-to-one ratio. It is not easy preparing perfect dishes, providing seamless service, and getting you out the door within 2 hours. Appreciate the effortlessness at display.

Rule 10
Owning a sushi store is a lifestyle and an art and it’s a privilege to witness it. The owner, the CEO, and the chef are all one single person, the master. He comes into the store at 9-10am and starts preparing for the night (obviously high-end places don’t serve lunches). Edo-mae sushi is all about preparation and it is not about serving the freshest fish. Even a simple piece of red tuna will be aged over a few days, the dried seaweed will be slightly toasted using charcoal and not a gas burner, similarly seared bonito will be seared using dried rice straws. Every dish requires multiple steps to prepare in the background and requires years of dedication to evolve and perfect. The master will open doors around 6pm and serve two rounds (i.e., 8 people x 2 = 16 customers per night) until 10pm-11pm. The master will go home well after midnight. The store is open 6 days a week, 300-310 days a year. It is a full commitment to perfecting the art of sushi that will continue for the rest of the master’s life. It’s not about making money. It’s all about perfecting skills and satisfying customers. It’s all about “iki.”

(Just in case you were wondering, “iki” cannot be explained in plain English. If you look up the wikipedia definition, it’s totally confusing and not helpful. It’s sort of like a Japanese version of the word dapper without the poshness and obviousness)

芸術家図鑑 個人的に好きなものを列挙(随時更新、シリコンバレーとは無関係)

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
1452-1519年
フィレンツェ共和国(現在のイタリア)生まれ、主にミラノやローマで活躍

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。 幅広い分野で顕著な業績と手稿を残したことで、今なお人類史上最高の天才と言われる。

Annunciation 1472-1475, oil and tempera on panel, on display at the Uffizi Gallery (Florence)

レンブラント・ファン・レイン Rembrandt van Rijn
1606-1669年
ネーデルランド連邦共和国(現在のオランダ)生まれ、主にアムステルダムで活躍

バロック期を代表する画家。光と影の魔術師の異名を持つ。

The Night Watch 1642, oil on canvas, on display at the Rijksmuseum (Amsterdam)

ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David
1748-1825年
フランスはパリ生まれ、主にフランスおよびイタリアで活躍

フランスの新古典主義を代表する画家。

The Coronation of Napoleon 1808, oil on canvas, in display at the Louvre (Paris)

クロード・モネ Claude Monet
1840-1926年
フランス生まれ、主にフランスで活躍

印象派を代表する画家で、生涯で2,500点以上の作品を描いたとされる。

Waterlilies in bloom 1914-1917, oil on canvas

パブロ・ピカソ Pablo Picasso
1881-1973年
スペイン生まれ、主にフランスで活躍

キュビズム(これまで当たり前とされてきた遠近法などのルールを無視し、対象を固定した一つの視点で描くのではなく別々の角度から見たイメージを一つの絵の中に合成していくのが特徴)の創始者として知られる。

Guernica 1937, oil on canvas, currently stored in Museo Reina Sofia (Madrid, Spain)
Buste de femme (Dora Maar) 1938, a portrait of Picaso’s then girlfriend/ muse Dora Maar, oil on canvas, purchased by Yusaku Maezawa in Nov 2016 for $25.8M

ル・コルビュジェ Le Corbusier
1887-1965年
スイス生まれ、主にフランスで活躍

フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠の一人。

LC2 and LC3 sofa 1928
The National Museum of Western Art 1959 (Japan)

マーク・ロスコ Mark Rothko
1903-1970年
ロシア生まれ、主にアメリカ(ニューヨーク)で活躍

抽象表現主義(Abstract expressionism) の代表的画家。

Seagram murals black and maroon etc. 1958, oil on canvas, currently partially stored in Kawamura Memorial DIC Museum of Art, the murals were originally commissioned for The Four Seasons Restaurant in the Seagram Building on Park Avenue (NY) and quoted “I hope to paint something that will ruin the appetite of every son of a bitch who ever eats in that room.” He eventually withdrew the works and donated them to the Tate (London).
White Center 1950, oil on canvas, purchased by the Royal Family of Qatar from David Rockefeller in 2007 for a record $72.8M making it the most expensive post-war work of art at the time.

ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning
1904-1997年
オランダ生まれ、主にアメリカで活躍

抽象表現主義 の代表的画家で激しい筆触に特色がある。

Woman III 1951-1953, oil on canvas, purchased by Steven Cohen (hedge fund tycoon) for $162M in 2006
Interchange 1955, oil on canvas, purchased by Kenneth Griffin (founder of hedge fund Citadel) for $300M in Sep 2015.

イサム・ノグチ Isamu Noguchi
1904-1988年
アメリカはロサンゼルス生まれ、日本およびアメリカで活躍

日系アメリカ人。彫刻家、インテリアデザイナー、造園家として幅広く活躍。

News 1940, low-relief panel of stainless steel, located above the main entrance to 50 Rockefeller Plaza.
Noguchi Table 1948, solid wood base and glass

ジャクソン・ポロック Jackson Pollock
1912-1956年
アメリカはワイオミング州生まれ、主にニューヨークで活躍

マークロスコと並び、抽象表現主義の代表的画家でアクション・ペインティングで有名。美術の中心地がパリからニューヨークへ移る時代に活躍。過大評価されている画家として一般に批判されることがままある。

Number 17A 1948, oil on fiberboard, purchased by Kenneth Griffin (founder of hedge fund Citadel) for $200M in 2015.

サイ・トゥオンブリー Cy Twombly
1928-2011年
アメリカはバージニア州生まれ、主にアメリカおよびイタリアで活躍

大型のキャンバス地に落書きをしたような作風で知られる。

Leda and the Swan 1962, purchased for $53M in May 2017.
Untitled known as the “blackboard painting” 1968, oil and crayon on canvas, purchased for $70M in Nov 2015.

ジェフ・クーンズ Jeff Koons
1955年生まれ
アメリカはペンシルバニア州生まれ、主にニューヨークで活躍

大規模な彫刻・絵画作品で知られる。 2017年頃よりルイ・ヴィトンとコラボレーションしていることでも有名。

Popeye 2011 (2.0 m height, over 900 kilograms), mirror-polished stainless steel with transparent color coating, purchased by Steve Wynn (casino tycoon) for $28M in 2014
Titi 2004-2009 (1.0 m height), mirror-polished stainless steel with transparent color coating, purchased by Yusaku Maezawa for $10-20M

ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat
1960-1988年
アメリカはニューヨーク市ブルックリン生まれ、主にニューヨークで活躍

グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られる。高校生の頃から、スラム街の壁などにスプレーペインティングを始め評価されるようになる。23歳の頃からアンディ・ウォーホルと共同制作するようになるものの、27歳の若さでヘロイン中毒でこの世を去る。

Untitled known as “The Devil” 1982, purchased by Yusaku Maezawa for $57M in 2016
Untitled known as the “The Skull” 1982, purchased by Yusaku Maezawa for $110M in May 2017

ダミアン・ハースト Damien Hirst
1965年生まれ
イギリス生まれ、主にイギリスで活躍

現代芸術家。動物をホルムアルデヒド中に保存したシリーズが有名。

The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living 1991, tiger shark/ glass/ steel/ 5% formaldehyde solution, purchased by Steven Cohen (hedge fund tycoon) for $8-12M in 2004.
The Black Sheep with Golden Horns (Divided) 2009, lamb/ glass/ painted steel/ silicon/ formaldehyde solution

シリコンバレーの歴史

サンフランシスコから南へ車で1時間程度、メンロパークからサンノゼの一帯をシリコンバレーと呼ぶことがある。元々は多くの半導体関連企業が多数集まっていたことから由来しているが、現在は多くのハイテク企業、スタートアップ企業ならびにベンチャーキャピタルが集中していることで知られる。

この一帯にはじめてシリコンバレーの名がついたのは1971年1月のこと。Don Hoeflerがエレクトロニック・ニュースという新聞で”Silicon Valley USA”という題名の記事を書いたのが発端で、その後この呼称が広まったとされている。

Electronic News, Jan 11th, 1971

もう少し過去に遡って、今日までのシリコンバレーの歴史をざっと列挙するとこのようになる。

1848年 カリフォルニア北部(サンフランシスコより少し北東のあたり)にて金が発掘され、ゴールドラッシュがはじまる。人口が突如30万人も流入することとなり、その結果1850年に連邦議会により公式に「カリフォルニア州」に州昇格する。(ちなみに正式に州へ昇格する前は地権や税金もなかったため、金は取り放題だった)

国内外からの急激な人口流入により、シリコンバレーの発展に欠かせない多用な人種の基盤や、外部からの移民を積極的に受け入れる文化の礎が築かれた。

Advertisement about sailing to California, 1850

1891年 当時のカリフォルニア州知事で、大陸横断鉄道の一つセントラルパシフィック鉄道の創立者だったリーランド・スタンフォードが早逝した一人息子の名を残すためにスタンフォード大学を創設する。現在のシリコンバレーの中心に位置している。(なお、スタンフォード大学の校訓は「自由の風が吹く」。)

Stanford University constructed of sandstone, 1906

1926年 軍事用レーダーの研究者で、元祖シリコンバレーの父と呼ばれることとなるFred Termanがスタンフォード大学教授に就任。

1939年 Bill HewlettとDavid Packardがスタンフォード大学卒業後、Hewlett-Packard社を創業し、軍にむけての電子機器の発明と製造を開始する。なお、二人の学部時代の指導教官を務めていたのがTerman。(当時、創業したとされるPackardの車庫はPalo Alto市内の住宅街に今の残されており、「シリコンバレー誕生の地」として歴史的建造物に指定されている。)

HP Garage, 367-369 Addison Avenue

1945年 第二次世界大戦が終結。世界大戦中にアメリカ軍用航空機はドイツ軍にことごとく撃退されたことを受け、その理由として、ドイツ軍の高性能レーダーがあることが発見される。そこで敵軍レーダーの解析を行うために Terman教授が指名され、スタンフォード大学にElectronics Research Labを創設し、マイクロ波の研究に取り組む。

1950年 朝鮮戦争時、工学部の学長を務めるようになっていたTerman教授はアメリカ国家安全保障局および海空軍の研究パートナーを務めることで、多額の研究開発費用を獲得していった。その結果、それまでは田舎の大学程度の研究予算だったのが、米国随一の規模へと発展を遂げた。

1951年 翌年にはTerman教授の提案によりスタンフォード・リサーチ・パークが建設され、企業をキャンパス周辺に誘致する取組が始まる。その結果、軍需産業あるいはマイクロ派関連の企業が多く集まり、一大産業地として発展していく。(スタンフォード・リサーチ・パークは後に「シリコンバレーのエンジン」と呼ばれるようになり、Dupont、Lockheed Martin、Ford、Tesla、NeXT、XeroX、Skype、Facebookなどの企業に施設を提供することになる)

1957年 前年マウンテンビューに創業していたShockley Semiconductor Laboratoryから独立した8人組(のちに「8人の反逆者」と呼ばれることになる)がサンノゼにてFairchild Semiconductorを創業し、世界で初めて半導体集積回路の商業生産を開始する。

なお、Fairchildは現代のVC(ベンチャーキャピタル)から初めて資金調達をしたスタートアップとしても知られており、1959年にVenrock Associates (Rockefeller家が創業したVCファーム)から資金調達を受けている。

The traitorous eight who left Shockley and founded Fairchild Semiconductor, 1960

(8人の反逆者の中には、後にインテルを創業しムーアの法則でも知られるGordon Moore(左端)や著名VCファンドKleiner Perkinsを創業したEugene Kleiner(左から3人目)が含まれる)

そのころ、世界の裏側ではソビエト連邦が世界初の人工衛星、スプートニク1号を1957年10月に打ち上げ、西欧諸国に強い衝撃と危機感が芽生える。アメリカの自信は覆され、パニックに陥れられた。

1958年 スプートニクの打ち上げ成功を受け、NASA(アメリカ航空宇宙局)が設立され、そこにFairchildが多くのハイテク部品を供給することで半導体生産技術を大きく発展していく。(のちの1969年7月にアポロ11号が月面に着陸を果たし、スプートニク・ショックは収束する)

Buzz Aldrin stands on the moon during NASA’s Apollo 11 mission, July 1969

1968年 マウンテンビューにて、8人の反逆者の中の二人であるGordon MooreとRobert NoyceがIntelを創業。1971年には世界で初めてマイクロプロセッサを発明する。(2018年12月時点で世界第26位の時価総額で$215B、およそ23.5兆円)

(この頃からシリコンバレーという呼称が使われはじめる)

1972年 Fairchildで営業マンをしていたDon Valentineがメンロパークのサンドヒルロード沿いにSequoia Capitalを設立した。今現在も世界一のベンチャーキャピタルファームとして知られており、Atari、Apple、Google、Oracle、Paypal、YouTube、Yahoo!、WhatsAppをはじめとした250社以上に投資をし、テクノロジー企業の発展に大きく貢献している。

1976年 クパチーノにてSteve JobsとSteve WozniakがApple Computersを創業し、家庭用コンピュータの開発をはじめる。(2018年12月時点で世界第2位の時価総額で$750B、およそ82.5兆円)

Steve Wozniak and Steve Jobs in the early days of Apple Computers

1977年 Larry Ellison、Bob Miner、Ed Oatesの3人がサンタクララにて、後に世界最大の企業向けソフトウェア企業となるOracleを創業。(2018年12月時点で世界第44位の時価総額で$160B、およそ17.5兆円)

1984年 Apple Compuetersより初代Macintoshが発売され、世界中で家庭用コンピュータの普及が進んでいく。

Macintosh launch in 1984

同年、スタンフォード大学のコンピュータサイエンス学科に勤めるLeonard Bosackと同じくスタンフォード大学ビジネススクールに勤めるSandy Lerner夫妻によってCisco Systemsが創業され、その後世界最大のコンピュータネットワーク機器の開発会社に発展していく。(2018年12月時点で世界第34位の時価総額で$195B、およそ21.5兆円)

Cisco co-founders Sandy Lerner and Leonard Bosack

1994年 マウンテンビューにてJim ClarkとMarc AndreessenがNetscapeを創業。Netscape Browserの開発でインターネットが一般に広く普及する。1995年8月の上場から2000年前半までの期間、ドットコム・バブルとして知られている。

Left: The Netscape Browser, Right: Co-founders of Netscape Jim Clark and Marc Andreessen

1995年 スタンフォード大学在学中にDavid FiloとJerry Yangがウェブディレクトリの機能を持つホームページを開設し、その後、検索エンジンをはじめとしたポータルサイトの運営企業としてYahoo!を創業

David Filo and Jerry Yang

1998年 スタンフォード大学で大学院生だったLarry PageとSergey Brinがページランクという独自のアルゴリズムを考案し、後にGoogleを創業する。(2018年12月時点で世界第4位の時価総額で$720B、およそ79兆円)

Larry Page and Sergey Brin

2004年 2月にハーバード大学の学生寮でFacebookを創業したMark Zuckerbergがその4カ月後の6月に大学を離れる形でパロアルトに引っ越し初期のチームやサービスを作る。(2018年12月時点で世界第7位の時価総額で$380B、およそ42兆円) 

Mark Zuckerberg in the early days of Facebook

(Facebookがパロアルトにて居を構えていた住宅は現在はスタンフォード大学のビジネススクールの学生らの間で引き継がれている)

Facebook House in Palo Alto

上記のような歴史を経て、現在のシリコンバレーが形作られている。

結果、リスクや変化を歓迎する独特の文化、多くのベンチャーキャピタリスト、 豊富で優秀なエンジニアたち、多くの新しいタレントを引き付け教育する優れた大学が醸成され、「テクノロジー」と「アントレプレナーシップ」に代表されるイノベーションを育む独特の生態系が形成されている。

幸せなキャリアは皆ユニークである

トルストイの長編小説の「アンナ・カレーニナ(1875年)」(戦争と平和と並ぶ代表作)の冒頭の記述。

“All happy families are alike; each unhappy family is unhappy in its own way” 「幸せな家族は皆似通っている。不幸な家族は皆それぞれ独特に不幸である。」

Anna Karenina published by Modern Library (2000)

Peter Thielによればビジネスの世界はその逆。

“All happy companies are different in its own way; All unhappy companies are the same”「成功する企業は皆それぞれ独特の成功を遂げる。失敗する企業は皆似通っている。」

Bill GatesがMicrosoft OSを作ったが、それをマネて同じような成功をすることはできない。Larry PageとSergey BrinはGoogleのサーチ・エンジンを発明したが、それをマネて同じような成功をすることはできない。Mark ZuckerbergはFacebookでソーシャル・ネットワークを普及させたが、それをマネて同じような成功をすることはできない。

Peter Thielによれば上記の(幸せな)企業に共通しているのは、皆モノポリーであるという点。唯一無二の商品・サービス・ビジネスモデルを確立し、多くの競争にさらされないために巨大な利益を生み出している。逆に多くの(不幸な)企業に共通しているのは、皆熾烈な競争にさらされているという点。ミクロ経済の基本だが、熾烈の競争の果てには利益は何も残されない。

誰かのマネをするのではなく、誰もやっていない、誰も気づいていないような真実を見つけ、それらを追及することでしか突出した成果は挙げられないということのようだ。

キャリアにあてはめると、既に確立されているキャリア、誰もが考えるような道筋を盲目的に辿っていては突出した成果は挙げられないと解釈できる。Peter Thielの言葉になぞらえると、キャリアはユニークでないと幸せにはなれないということになる。

インテルによる世紀の事業転換

1968年、ムーアの法則で知られるGordon MooreとRobert Noyceの二人によってIntel社は創業された。Arther Rock率いるDavis Rock(1961年創業、かつて存在した黎明期のVCファンド)から資金調達をしている。

インテル3人目の従業員は、後にシリコンバレーの父とも称されることとなるAndy Grove氏。1979年-1987年に社長を務め、1979年-1997年は取締役会会長の職に就いている。

今でこそ、「インテル、入ってる」のフレーズで知られるマイクロプロセッサメーカーとして有名だが、Andy Groveが率いていた1980年代はDRAMメモリのメーカーとしての地位を築いていた。そんな中、東芝、NEC、日立に代表される日本勢の攻勢により、価格競争に飲み込まれ深刻な経営危機に陥いることとなる。(忘れらているが、1980年代から1990年代半ばは日本の半導体メーカーの黄金期)

Intel chips from the 1970s

アメリカ市場を席捲すべく、当時の日本メーカーは10%ルールを採用していた。インテルの価格に対して、10%低い価格で製品を供給する。インテルが価格を下げれば、その価格の10%低い価格にすぐさま調整する。このような熾烈な価格競争により、インテルのシェアを奪っていった。

当時の熾烈な価格競争を物語る記事。 インテル社等の訴えにより、 富士通、日立、松下、三菱、NEC、Oki、リコー、東芝の8社が製造コスト未満でメモリ製品を販売しているとして、アメリカ合衆国商務省が有罪判決を下している。

MICROELECTRONICS NEWS, May 15, 1985 written by Don C. Hoefler

それに対応するため、Andy Groveにはいくつかの選択肢があった。1)大型の設備投資(工場の新設)を通じた価格競争力の強化、2)技術的優位を持つ新たなメモリーの開発、3)ニッチ市場への注力。

一年ほどの議論の果て1985年のこと、Andy Groveが導き出した結論は上記のいずれでもなかった。10年以上インテルを支え、当時8割超の売上を牽引していたDRAM事業から撤退し、マイクロプロセッサ事業への事業転換を決めた。

Intelは創業間もない1971年にマイクロプロセッサを発明していた。しかし、1980年代半ばの当時、マイクロプロセッサを生産する競合は多数いた上に、不景気により過剰供給となっていた。マイクロプロセッサ事業へのピボットはそれほど自明な選択ではなかった。しかしながら、この決断により今日のインテルが生まれている。

この絶好のタイミングでの事業転換は後に「選択と集中」の好例として語り継がれている。

Andy Grove