サンフランシスコから南へ車で1時間程度、メンロパークからサンノゼの一帯をシリコンバレーと呼ぶことがある。元々は多くの半導体関連企業が多数集まっていたことから由来しているが、現在は多くのハイテク企業、スタートアップ企業ならびにベンチャーキャピタルが集中していることで知られる。
この一帯にはじめてシリコンバレーの名がついたのは1971年1月のこと。Don Hoeflerがエレクトロニック・ニュースという新聞で”Silicon Valley USA”という題名の記事を書いたのが発端で、その後この呼称が広まったとされている。
もう少し過去に遡って、今日までのシリコンバレーの歴史をざっと列挙するとこのようになる。
1848年 カリフォルニア北部(サンフランシスコより少し北東のあたり)にて金が発掘され、ゴールドラッシュがはじまる。人口が突如30万人も流入することとなり、その結果1850年に連邦議会により公式に「カリフォルニア州」に州昇格する。(ちなみに正式に州へ昇格する前は地権や税金もなかったため、金は取り放題だった)
国内外からの急激な人口流入により、シリコンバレーの発展に欠かせない多用な人種の基盤や、外部からの移民を積極的に受け入れる文化の礎が築かれた。
1891年 当時のカリフォルニア州知事で、大陸横断鉄道の一つセントラルパシフィック鉄道の創立者だったリーランド・スタンフォードが早逝した一人息子の名を残すためにスタンフォード大学を創設する。現在のシリコンバレーの中心に位置している。(なお、スタンフォード大学の校訓は「自由の風が吹く」。)
1926年 軍事用レーダーの研究者で、元祖シリコンバレーの父と呼ばれることとなるFred Termanがスタンフォード大学教授に就任。
1939年 Bill HewlettとDavid Packardがスタンフォード大学卒業後、Hewlett-Packard社を創業し、軍にむけての電子機器の発明と製造を開始する。なお、二人の学部時代の指導教官を務めていたのがTerman。(当時、創業したとされるPackardの車庫はPalo Alto市内の住宅街に今の残されており、「シリコンバレー誕生の地」として歴史的建造物に指定されている。)
1945年 第二次世界大戦が終結。世界大戦中にアメリカ軍用航空機はドイツ軍にことごとく撃退されたことを受け、その理由として、ドイツ軍の高性能レーダーがあることが発見される。そこで敵軍レーダーの解析を行うために Terman教授が指名され、スタンフォード大学にElectronics Research Labを創設し、マイクロ波の研究に取り組む。
1950年 朝鮮戦争時、工学部の学長を務めるようになっていたTerman教授はアメリカ国家安全保障局および海空軍の研究パートナーを務めることで、多額の研究開発費用を獲得していった。その結果、それまでは田舎の大学程度の研究予算だったのが、米国随一の規模へと発展を遂げた。
1951年 翌年にはTerman教授の提案によりスタンフォード・リサーチ・パークが建設され、企業をキャンパス周辺に誘致する取組が始まる。その結果、軍需産業あるいはマイクロ派関連の企業が多く集まり、一大産業地として発展していく。(スタンフォード・リサーチ・パークは後に「シリコンバレーのエンジン」と呼ばれるようになり、Dupont、Lockheed Martin、Ford、Tesla、NeXT、XeroX、Skype、Facebookなどの企業に施設を提供することになる)
1957年 前年マウンテンビューに創業していたShockley Semiconductor Laboratoryから独立した8人組(のちに「8人の反逆者」と呼ばれることになる)がサンノゼにてFairchild Semiconductorを創業し、世界で初めて半導体集積回路の商業生産を開始する。
なお、Fairchildは現代のVC(ベンチャーキャピタル)から初めて資金調達をしたスタートアップとしても知られており、1959年にVenrock Associates (Rockefeller家が創業したVCファーム)から資金調達を受けている。
(8人の反逆者の中には、後にインテルを創業しムーアの法則でも知られるGordon Moore(左端)や著名VCファンドKleiner Perkinsを創業したEugene Kleiner(左から3人目)が含まれる)
そのころ、世界の裏側ではソビエト連邦が世界初の人工衛星、スプートニク1号を1957年10月に打ち上げ、西欧諸国に強い衝撃と危機感が芽生える。アメリカの自信は覆され、パニックに陥れられた。
1958年 スプートニクの打ち上げ成功を受け、NASA(アメリカ航空宇宙局)が設立され、そこにFairchildが多くのハイテク部品を供給することで半導体生産技術を大きく発展していく。(のちの1969年7月にアポロ11号が月面に着陸を果たし、スプートニク・ショックは収束する)
1968年 マウンテンビューにて、8人の反逆者の中の二人であるGordon MooreとRobert NoyceがIntelを創業。1971年には世界で初めてマイクロプロセッサを発明する。(2018年12月時点で世界第26位の時価総額で$215B、およそ23.5兆円)
(この頃からシリコンバレーという呼称が使われはじめる)
1972年 Fairchildで営業マンをしていたDon Valentineがメンロパークのサンドヒルロード沿いにSequoia Capitalを設立した。今現在も世界一のベンチャーキャピタルファームとして知られており、Atari、Apple、Google、Oracle、Paypal、YouTube、Yahoo!、WhatsAppをはじめとした250社以上に投資をし、テクノロジー企業の発展に大きく貢献している。
1976年 クパチーノにてSteve JobsとSteve WozniakがApple Computersを創業し、家庭用コンピュータの開発をはじめる。(2018年12月時点で世界第2位の時価総額で$750B、およそ82.5兆円)
1977年 Larry Ellison、Bob Miner、Ed Oatesの3人がサンタクララにて、後に世界最大の企業向けソフトウェア企業となるOracleを創業。(2018年12月時点で世界第44位の時価総額で$160B、およそ17.5兆円)
1984年 Apple Compuetersより初代Macintoshが発売され、世界中で家庭用コンピュータの普及が進んでいく。
同年、スタンフォード大学のコンピュータサイエンス学科に勤めるLeonard Bosackと同じくスタンフォード大学ビジネススクールに勤めるSandy Lerner夫妻によってCisco Systemsが創業され、その後世界最大のコンピュータネットワーク機器の開発会社に発展していく。(2018年12月時点で世界第34位の時価総額で$195B、およそ21.5兆円)
1994年 マウンテンビューにてJim ClarkとMarc AndreessenがNetscapeを創業。Netscape Browserの開発でインターネットが一般に広く普及する。1995年8月の上場から2000年前半までの期間、ドットコム・バブルとして知られている。
1995年 スタンフォード大学在学中にDavid FiloとJerry Yangがウェブディレクトリの機能を持つホームページを開設し、その後、検索エンジンをはじめとしたポータルサイトの運営企業としてYahoo!を創業。
1998年 スタンフォード大学で大学院生だったLarry PageとSergey Brinがページランクという独自のアルゴリズムを考案し、後にGoogleを創業する。(2018年12月時点で世界第4位の時価総額で$720B、およそ79兆円)
2004年 2月にハーバード大学の学生寮でFacebookを創業したMark Zuckerbergがその4カ月後の6月に大学を離れる形でパロアルトに引っ越し初期のチームやサービスを作る。(2018年12月時点で世界第7位の時価総額で$380B、およそ42兆円)
(Facebookがパロアルトにて居を構えていた住宅は現在はスタンフォード大学のビジネススクールの学生らの間で引き継がれている)
上記のような歴史を経て、現在のシリコンバレーが形作られている。
結果、リスクや変化を歓迎する独特の文化、多くのベンチャーキャピタリスト、 豊富で優秀なエンジニアたち、多くの新しいタレントを引き付け教育する優れた大学が醸成され、「テクノロジー」と「アントレプレナーシップ」に代表されるイノベーションを育む独特の生態系が形成されている。