インテルによる世紀の事業転換

1968年、ムーアの法則で知られるGordon MooreとRobert Noyceの二人によってIntel社は創業された。Arther Rock率いるDavis Rock(1961年創業、かつて存在した黎明期のVCファンド)から資金調達をしている。

インテル3人目の従業員は、後にシリコンバレーの父とも称されることとなるAndy Grove氏。1979年-1987年に社長を務め、1979年-1997年は取締役会会長の職に就いている。

今でこそ、「インテル、入ってる」のフレーズで知られるマイクロプロセッサメーカーとして有名だが、Andy Groveが率いていた1980年代はDRAMメモリのメーカーとしての地位を築いていた。そんな中、東芝、NEC、日立に代表される日本勢の攻勢により、価格競争に飲み込まれ深刻な経営危機に陥いることとなる。(忘れらているが、1980年代から1990年代半ばは日本の半導体メーカーの黄金期)

Intel chips from the 1970s

アメリカ市場を席捲すべく、当時の日本メーカーは10%ルールを採用していた。インテルの価格に対して、10%低い価格で製品を供給する。インテルが価格を下げれば、その価格の10%低い価格にすぐさま調整する。このような熾烈な価格競争により、インテルのシェアを奪っていった。

当時の熾烈な価格競争を物語る記事。 インテル社等の訴えにより、 富士通、日立、松下、三菱、NEC、Oki、リコー、東芝の8社が製造コスト未満でメモリ製品を販売しているとして、アメリカ合衆国商務省が有罪判決を下している。

MICROELECTRONICS NEWS, May 15, 1985 written by Don C. Hoefler

それに対応するため、Andy Groveにはいくつかの選択肢があった。1)大型の設備投資(工場の新設)を通じた価格競争力の強化、2)技術的優位を持つ新たなメモリーの開発、3)ニッチ市場への注力。

一年ほどの議論の果て1985年のこと、Andy Groveが導き出した結論は上記のいずれでもなかった。10年以上インテルを支え、当時8割超の売上を牽引していたDRAM事業から撤退し、マイクロプロセッサ事業への事業転換を決めた。

Intelは創業間もない1971年にマイクロプロセッサを発明していた。しかし、1980年代半ばの当時、マイクロプロセッサを生産する競合は多数いた上に、不景気により過剰供給となっていた。マイクロプロセッサ事業へのピボットはそれほど自明な選択ではなかった。しかしながら、この決断により今日のインテルが生まれている。

この絶好のタイミングでの事業転換は後に「選択と集中」の好例として語り継がれている。

Andy Grove

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